片目障害者の生きづらさと学歴資格の重要性

通信制大学についての検索で、障害者の進学について調べている人が多いのが意外でした。

ここに正直書きますが、私は障害者です

正確にいうと、公式(国)からは障害者と認定してもらえない障害者です。

ですが、小さい頃から、周りから障害者と思われています。見た目が障害者です。ブサイクとかそういうのじゃありません。

は?それってどういう意味?

って思われるかもしれません。

私は片目の視力が0。片目が全く見えません。

片目が全く見えないので、見た目も明らかに障害者なのです。

ですが、障害者手帳をもらうには、「片目の視力が0」だけではもらえません

片目の視力が0の場合、もう一方の目が0.6以下の視力にならないと障害者手帳がもらえません。

国からは障害者認定されないので

「障害者枠で就職できません」

ですが、進学するときにも、バイトで面接に行った時も、就職活動中も、ハロワの職員にさえ

「障害者枠」の話をされます。

障害枠が使えないのにです。その度国制度についていちいち説明しないといけません。

疲れました。

子供の頃から、片目障害者であることによって、

一生結婚できないと思っていたし、

車は運転してはいけないものだと思っていたし、

長生きしたいと思ったことも

30歳まで生きると思ったこともありませんでした。

かといって、死にたいと思ったこともありませんが。

結局30歳すぎても生きています。

長生きはしない方向で、

なるべく他人に迷惑をかけず生きていくことを心がけています。

片目障害者って結構めんどくさいんですよ。

片目障害者の人生ハードモードっぷりをまとめてみました。

片目障害者の生きづらさ

中学の時、部活が強制でした。こんな醜い私でも入って許される部活はあるのかな?という悩みを抱えていました。

今思えば自尊心が低すぎてヤバイレベルでした。

クラスで行列作るときには、必ず一番後ろに並びました。

早死にする障害ではありませんが、私は漠然と18歳くらいで死ぬんだ

と思ってました。

ですが、中学生のあたりになって、実は30歳まで生きるかもしれないという思いがわき起こってきます。25歳すぎると、実は40歳以上生きるんじゃないかという考えが・・・長生きできるという希望じゃなくって、長生きしてしまう不安です。

高校は試験さえ受ければ片目障害者でも受かるだろう。でも・・・

私なんかを雇ってくれる仕事先なんてきっと日本中どこにもない

と本気で考えていました。

国が認めてくれた障害者ではないので、

特別支援学校の類に入れるわけでもありません。

小学校、中学校、高校には、私のような非公式障害者はもちろん、手帳を持つような障害者がいませんでした。

障害を分かち合う人もいなかった。

それは今もいない。誰とも障害について悩みを打ち明け合った人がいない。

片目障害者を恥だと思う親について

私の親は私の障害を恥じていました。元々障害が発覚する前からネグレクトでしたが。

私は障害名を教えてもらったのは15歳の時です。それまで正式な障害名も知りませんした。

私の障害が発覚したのは6歳の時です。その時大学病院の先生から、生まれつき目が片方見えてないんだろうという診断がくだりました。

親はどっちの遺伝なのかなすりつけあってました。私の身内に目が見えない親類はいません。遺伝の病気ではありません。それでもなすりつけあってました。

妊娠した時、火事を見に行ったせいではないか?

喫煙してた?

薬飲んだ?

これまでの行いの天罰がくだった

みたいな争いしてたのを聞いたような記憶が微かに残ってました。

そんなことより生まれて6年間障害に気づかない親ってどうなの?

 

 

生まれてずっと片目が見えなかったので、

両目が見えるひとと

片目しか見えない人の 世界の見え方に違いがあるとは知りませんでした。

 

耳を片方塞ぐと、音が聞こえづらくなります。

目も同じだと思ってました。見えない方の斜めうしろがちょっと見えないくらいの障害だと思ってました。

片目が見えない人は距離感が掴めない というのを知ったのは19歳の時です。

電柱やドアなどいろんなところに足の指、頭、見えない方の体をぶつける

買い物でお釣りをうまく受け取れず何回もばらまいたこと

バスケットやバレーのボールがうまく受け取れないこと

学校の授業でテニスボールが何度やっても打てなかったこと

手すりに捕まらないと階段から落ちそうになることが多いこと

満員電車でつり革もっていないと揺れでコケること

ドアノブを掴み損ねる」

自転車乗れるけど、十字路など止まるタイミングがわからない時がある

今まで片目が見えないことで負った怪我やトラブルは数えきれません。

 

距離感が掴めないことでの生活の不便さは書ききれませんが、

障害ゆえこうなると気づいたのは、意外と大人になってからです。

片目が見えないんだからこういうことを注意しなさい系は全くありませんでした。

なのでいまだに、「あ、これは片目しか見えないからこうなるんだ」的な発見が起こることもあります。

片目障害者は親にとって恥でした。

なので、障害について家庭内で触れられることがありませんでした。タブーでした。

完全に、健常者として育てられました。

幾ら練習しても受け取れないキャッチボールに、「練習が足りない」だとか

自転車で何回転んでも「自転車を大切にしろ」と怒られるばかり。

それが障害によるものだとは知らずに自転車の練習もしたし、球技の球を受け取る練習も壁を使って何時間もやりました。

球技は、球を投げるスピードをあげれば、誰もこちらへ返して来ないということに気づき、

受け取る努力じゃなく、強く投げる練習を何時間もしました。バレーボールだけ。

中学の時は、殺人的サーブを打てるレベルになり、バレー部からピンチサーバーとして勧誘もされました。馬鹿みたいな話ですが・・・

もし、この記事を片目が見えない子の親が見ていたとしたら、

きちんと片目が見えないということはどういうことなのか。

両目が見えている世界と、片目しか見えていない世界の違いを説明してあげてください。

片目障害者は小学校高学年から地獄が始まる

小学生は低学年くらいまでは、相手が障害者だと気づきません。

自分と違うと気づき出すのが小学生高学年からです。

私はクラスで一番目立たない存在でした。ですが、それなりにいじめはありました。

学力はマシな方でした。なので頭の馬鹿さで虐められることはありません。

ですが、小学校高学年から、男子から「ガイ〜(障害者の略)」と言われるようになり、

同じく虐められていた男の子の書道道具と私のを中身入れ替えられたり、

靴を隠されたりしました。

一番酷かったのは中二の時です。クラス3人虐められている子がいて3人まとめてバイキン呼ばわりでした。

特に誰かを虐めたわけでもなく、静かに暮らしていたのに、

虐められるのが見た目障害者の不遇なところです。

その頃から、もう、いろいろめんどくさくなって、

他人が私のことどう思っているかとかいちいち考えるのがもうどうでも良くなって、

世界の中心は私だと思うスタイルに変わりました。今でも世界の中心は私です。私の脳内から見れば、私は世界の中心です。その考えにいたりました。

運よく、私は女子にいじめられたことがありません。それは今もです。いじめて来たのは男子でした。なので、高校は女子校へ進学しました。

それ以降、いじめとおぼしきものには遭遇してません。

15歳以降、周りの人たちにはほんと恵まれました。

でも、いじめた人たちのことは忘れてません。何十年たった今でも、復讐したいと思ってます。

物理的ではなく、うちの会社の下請けとかにかつてのいじめっこがいたら、

退職に追い込んでやるのに的な考えは強く持ってます。

今のところそういう再会はないので残念です・・・

片目障害者は人生を詰みやすいので進学する

片目障害者を忘れるくらい友達に恵まれた高校時代、大学時代でした。

ですが、大学受験は苦労します。

両目使える人と、片目しか見えない人、目の疲れが全然違います。受験勉強は目の痛みとの戦いでした。慢性的な目の疲れは頭痛を起こし、見えない方の顔半分が痛みました。

ですがどうにか大学に入ることができました。

高校生の時、テレビか漫画か小説で

ブスだったから、一生結婚もできないだろうから、勉強を頑張っていいところに就職した

というシーンを見ました。

これだ!と気づきました。

ブスとかいうレベルじゃない。

障害者だから、

絶対結婚もできないだろうし、

子供は絶対生まないと決めてたし

障害者であることで就職できないだろう

ただの高卒じゃ絶対人生終わる

そう思って、大学に頑張って入りました。田舎にとっては、

結構偏差値の高いところでした。

長時間勉強すると目に痛みが走る私のコンディションでは頑張った方だと思います。

大学は、いろんな価値観の人と出会える貴重な場所でした。今でもクラスメイトとの出会いは一生の宝です。

大学時代は世界中を旅しました。世界中を周っていると、大抵の悩みは世界と比べてちっぽけで、

結構いろんな悩みがどうでもよくなりました。

 

ですが、学生時代が終わり、就職の時期がやって来ました。

そこで現実を叩きつけられます。

片目障害者は障害を理由に落とされることが多い

片目障害者は国から障害者とは認めてもらえません。

障害者として認定してもらえないので、企業の障害枠は利用できません。

そんなこと企業側は知りません。

就職活動をすると、まず障害者枠いけばと言われます。

障害者が何かの枠で大学に入っていると思われているレベルです。

片目が見えないってだけで、

パソコンもできます。

電話対応もできます。

何なら絵も描けますよ

パワーポイントでプレゼンテーションすることもできます。

事務作業ならできます。

ですが、距離感が掴めないので、接客が無理、工場が無理。

就活難易度が低い工場勤務、介護業界とか接客業とか完全に無理。

健常者でも落ちる人が多い事務枠に私も闘うしかありませんでした。なので学歴は絶対重要です。

事務は普通にこなせる自信がありました。ですが、

障害が理由で休まれたりしても困る障害があるなら、きっと仕事は健常者と比較して遅いに違いないという勝手な予想で落とされます。いやいや、病院なんてこれ以上悪くなりようないから通ってないんだけどな

 

ですが、ちゃんと聞いてくれる面接官に運よくあたり、就職することができました。

今まで私を落とした企業は、心のブラックノートにいれています。

普通の理由で落とすところは自分の実力不足だと思うけど、片目障害を理由に落とされたことも多いのです。

Fランクの大学や高卒だったら完全に詰むところでした。

片目障害者は健常者と同じ量の仕事こなさなければならない

国から認められた障害者ではないし、一切補助金は出ません。

正社員で就職したなら健常者と同量の仕事をこなす必要があります。なので、片目障害者は就職する時、仕事内容を選べないと詰みます。

私は同じ量こなしてきました。事務作業です。1日8時間以上パソコンに向かって入力したり、資料作ったり、電話対応したり。

この中で一番苦痛なのが入力作業です。20代の頃は難なくこなせてました。

ですが、歳をとると、目の疲れが半端なくやって来ます。

1つの目を酷使することによって、急激な視力低下、

眼精疲労から起こる頭痛。

私はあと0.2下がると障害者手帳もらえるまで下がりました。

ですが、今更障害者手帳もらえるとしても、障害者枠で採用してもらえそうな企業もなく。

片目障害者って、完全に人生の貧乏くじですよね

 

年金とかも健常者と全く同じ額払わされて

でも、周りからは障害者扱い(差別・侮蔑的な意味で)

仕事は健常者と同じ内容

でも、今のところ、し にたいと思ったことはないんですよね。

あいつ しね

はやじ に したいと思ったことはありますが。

私の人生は、完全にハードモードなのですが

 

障害者でも今のところ、迷惑をかけずに生きていけています。

あと、意外にも収入は、同じ世代の女性と比較して2倍以上はもらってます。

・障害者

・親に恵まれていない

・虐められた過去がある

というハズレ人生の私が収入だけは人一倍もらえている。その理由はズバリ

有名大卒だったので、知的障害者ではないと知らしめられた

他人にはなかなか取得できない資格をいくつか持っている

TOEIC800点以上とったことで、外見差別しない人たちに一目置かれている

実は1つの才能があって、それが30歳を超えて評価されている

こんなこと言いたくないですが、30代を超えると同級生が死んだり、同じく障害者になったり、

同級生の子供が発達障害だったりと、

障害者に対する差別?冷やかし?みたいなのが減ってきました。

 

それで、ハードモードだった人生が、比較的一般人に近づいて来た感覚があります。

障害者であることが恥で、し にたいと思っている人がもしいるなら、世界を旅してみてください。

いろんな人が生活しています。障害がちっぽけに見えたりするかも。

まだ子供で、自分の障害や外見について悩んでいるなら

勉強を全力でがんばれ。学歴が助けてくれることが多いよ

悩んでいるなら資格をいくつかとってみたらどう?

自分がブス・あるいは障害者であることで一生結婚できないんだと思うなら、

悲観するんじゃなくって、

自分の力で超お金持ちになって今まで馬鹿にして来た人たちを見返そう